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本人手記:バイトと僕の記憶の仕方

27年7月から28年3月まで横浜にある○○というキャバクラでアルバイトをしていました。20時から平日は3時まで、金曜は5時、土曜は4時まででした。
始めは週3、途中からは週4で働かせてもらっていました。 

20時からだったのですが、始まる前に買い物を済ましておかないといけなかったので19時には店に着いていました。
はっきり言って深夜の労働は辛かったです。

友達の紹介で始めたのですが、早寝早起きになっていた僕に深夜の仕事はなかなか辛いものがありました。

緊張することがなく感じたとおり言ってしまい怒られたこともあります。これは脱抑制という後遺症のために言ってしまったものだと思われます。

脱抑制とは言ってはいけない場面で言ってしまったり気を使えなくなったりと抑制が効かなくなるとを言います。緊張していたはずのことが緊張しなくなり、恥ずかしかったことも恥ずかしくなくなりました。これは、事故の前は人見知りだった僕には最高レベルの後遺症です。

失敗したこともたくさんありますが、そこは少しずつ直していき、今では対人折衝という面ではこの後遺症を逆に上手く使えているかなと思います。

食事を作るのは違う階の系列の店でしていたので、僕は注文された酒を出し、グラス、皿、灰皿を洗い、お菓子の盛り付けなどをしていました。

混む時間はバラバラだったのですが、基本的に毎日混むことが多く、一番やってしまった事はシャンパングラスを数えきれないほど割ってしまったことです。最大で一日3つ。

ゾンビという高いグラスもゲストタンブラーという高級グラスもいくつか割ってしまい、割らない日は7か月やって数日だけ。毎日のように割っていて連続で割らなかった日は最長5日。そんな僕でも使ってもらっていたことに感謝しかありませんでした。

覚えたことはいろいろありますが、何よりもお客様を待たしてはいけないということ。お客様が来店したらすぐにおしぼりを出し、お酒の注文を受けたらすぐに出さなければいけません。

ボーイの方がキッチンまで来てくれるのでキッチンの入り口で渡していました。

そして、お酒の作り方や盛り付けの仕方、大事なことの順番などを頭に入れ作業をしていて、作業をどれか一つに絞ることは出来ないのでいろいろなことの作業をしていました。効率よく作業が出来るようになるまでは結構な時間がかかりました。

いくつかの種類の事を頼まれた時、慣れていない頃だと出来なかったのが慣れてきた頃になると出来ていき、お客様が混んでくるほど対応できなくなっていたのも、回数を重ね慣れてくると対応できるようになっていきました。

それが少しずつ自信になりました。高次脳機能障害で記憶力が無くなったと言っても体は覚えていたりするし、回数を重ね頭でイメージしていけば記憶も出来ると感じました。

そして覚えるためにはそのことだけを覚えようとするのではなく、そのことに繋がるようなことを覚えることによって記憶されていくことに気づきました。今でもこれは実践しています。

でも、あくまでもこれは僕のやり方なので、高次脳機能障害になってしまった方は高次脳機能障害になってしまったと諦めずに自分なりの覚え方を考えていけたらいいと思います。

ぼーっとすることが多くなってしまったとは思うのですが、脳は使わなければ退化していくだけです。面倒だからと何もしなければ脳の運動にはならないので頭を使いましょう。

何か読んで書いていることでも実践するのはいいことなのですが、それはその人にあったやり方ってあると思います。個人個人で覚えやすい方法は違うと思います。
なので自分が一番覚えやすい方法を考えましょう。

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